音楽遍歴
- ピアノ
- 3歳からはじめて、大学卒業まで習っていました。
- 先生のおかげで、のびのびと音楽を楽しむことができて、よかったと思ってます。
バイエル、ツェルニーの後は、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、ドビュッシーなど
定番をちょこちょこかじってから、あとは好き勝手な曲を弾いてました。
- テクニックはない(練習をサボってた)ので、ちょっと変った曲を好んで選んでました。
展覧会の絵とか(全曲で3年かかりました)、ラフマニノフの協奏曲第2番とか、
邦人作品とか、コープランドのエル・サロン・メヒコ(ピアノ版)とか、
アルベニスのスペイン組曲とか。。。
- でも、いやな顔一つせずに指導してくれた先生に、感謝です。
- ピアノでの一番の想い出は、秋山和慶先生指揮の東京交響楽団と共演させて頂く機会があったことです。
秋山先生の棒さばき、厳しいけれど的確な指示は、今でも印象に残っています。
- もう一つの想い出は、小学校の時、礼宮様(秋篠宮様)、紀宮様とピアノ連弾をしたことです。同じ先生が教えられてた縁で、礼宮様とちょうど同じ年ということもあって、東宮御所にお招き頂きました。モーツァルトの「おもちゃの交響曲」をやりました。
- フルート
- 中学2年生の時、同じ社宅に住んでいた人にフルートを習いはじめました。
- 学校の吹奏楽部で管楽器をはじめるのが普通なんでしょうけど、
私の学校には、当時、音楽部はありましたが、吹奏楽部はありませんでした。
- でも、ある時どうしても管楽器がやりたくなり、家で練習できるフルートを手にしました。
- 教えてくれた方は、アンブシュアなど細かいことにはあまりこだわらず、
アンサンブルを楽しむことを教えてくれました。これまたよかったと思ってます。
- 合唱
- 中学・高校には音楽部はあったけど吹奏楽部はなかったと書きました。
- 結局、中学3年で音楽部に入部(学校は6年制でした)して、合唱にも関わることになりました。
声はどちらかといえばバリトンだったのですが、人数の関係でテナーの2番を担当していました。
- 音楽部といっても、男声合唱、混声合唱、器楽合奏(やがて吹奏楽になっていきました)の
3つを同時にこなしていて、なかなか楽しい部活だったことを覚えています。
- 再びフルート
- 大学に入学して、入学式の日に吹奏楽団に入団しました。
- 大学4年間、吹奏楽一筋というわけではありませんでしたが、
指導頂いていた師匠をはじめ、上野の森ブラス
の方々、よき先輩後輩に恵まれ、楽しいサークル活動を過ごすことができました。
- また、3・4年のゼミのメンバには、なぜか管弦楽団、軽音楽部など
音楽系サークルのメンバがそろっていて、管弦楽団のステージマネージャや
マンドリン部やロック系のバンドのエキストラに呼ばれたりしました。
- さまざまなジャンルへ目を向けるよいきっかけになりました。
- また、この頃学園祭でコミックバンドをやったりしたのも、その後に影響があったようです。
- サクソフォン
- 大学時代に、吹奏楽団WINDSという不思議な吹奏楽団に関わった関係で、
卒業してからもどこかで楽器を吹きたいと思ってました。
- また、ここで出会ったメンバのお誘いで、一時期、埼玉県の
上福岡ウィンド・アンサンブルにお手伝いに行ったりしました。
- たまたま、身の回りにすばらしいアマチュアのサクソフォン奏者が
何人もいた影響で、サクソフォンを吹いてみたくなり、社会人3年目にして
NEC府中吹奏楽団にサクソフォンの初心者として参加しました。
- その後、臨時結成のたまらいふ21吹奏楽団、
これを母体にして発足した多摩ウィンドオーケストラでしばらく活動していました。
- バリトン・サクソフォンを購入してからは、もっぱらバリトン一筋になり、思うところあって活動を絞り込みました。
- その後は石神井ウィンド・アンサンブル、八王子由井吹奏楽団、
音の輪ウィンド・シンフォニカ、日立横浜吹奏楽団、府中青少年吹奏楽団、
青葉台吹奏楽団などのお手伝いで吹奏楽に携わっています。
- 現在
- 吹奏楽団を辞めてしばらくフリーで活動していましたが、
バンド活動のお誘いを受け、ホーンセクションNeo Night Crowsの一員として
Earth, Wind and Fiber
(旧称 Earth, Wind and 不倫火山)に参加していました。(現在活動休止中)
最近ではサルサ・バンドの Orquesta de la Candaに参加しています。
- 一方、クラシック方面では、友人某氏の主宰するサクソフォン・アンサンブル「なめら〜か」に参加しました。現在はアマリリス合奏団を続けているほか
不定期活動のSuika Saxophone Ensemble、結婚式などで演奏活動をしています。
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